子供の頃、帰国しようとしない父親の身代わりのように母親といっしょに夏を過ごしたスペインの田舎町、エル・ポアル。けだるいシエスタの、まどろみに包まれたような父親の故郷。僕はエル・ポアルに、父の、そして自分のものでもある故郷に惹き付けられ、十三年の時を隔ててそこを再び訪れる・・・。日本文学研究者であり、詩人、批評家でもある大野露井の辻原登奨励小説賞受賞作!。
by 大野露井
腹時計が鳴り、僕たちは戸締まりをしてラウラの家へ向かった。レイダは町というより街であり、田んぼではなく幾条も並ぶ大通りによって構成されていた。もはやエル・ポアルやモデルサのように蝶の比喩を使うことはできない。充分に猫くらいの大きさがあった。僕は今回この国へ来てはじめて、建物の全体像を把握するために首をのけぞらせて歩いた。しかし上ばかり見ているのは危険だ。この街ではあろうことか車道が白線によって二つに分けられ、その左右を忙しく車が通過していた。車はこれまでのようにねずみ色の道路の真中を漫歩したり、対向車が現れるとしぶしぶ路肩に身をひそめたりするのではなく、挨拶代わりに警笛を鳴らしながら擦れ違ってゆく。「デーウ」と言う暇もない。だから歩くときは前を見なければ、左右から鉄槍の一撃を食らう可能性があったのだ。
ラウラ一家の住居もやはり見上げるほど高い建物だった。骨組みはそれほど上等ではなく、エレベーターを階段がとりまく螺旋は石と金属の不調和なめまぐるしさで、深夜には犯罪者が好んで潜伏しそうな暗がりも散見された。ところが部屋のなかへ一歩入ってしまうと、突如として爽やかで快適な空間が開けた。壁紙はスペインのステレオタイプに当てはまりそうなオレンジ色で、斜交いになっている居間と食堂にはそれぞれ大通りに面した広い腰窓と張り出し窓があった。その反対には地味だが愛用を誘う食卓を挟んで台所があり、設備はカルメンのアパートのものよりも新型だった。とはいえ厨房では胡麻塩頭の関取が辣腕をふるってまさにパエリアを仕上げているところだったので、それぞれの設備について詳しく観察することはできない。そこで仕方なく食卓を通り越して壁際まで行ってみると、壁に埋め込まれた趣味のいい飾り棚の中央に、革装のロルカ全集が静かに並んでいた。
「それはパブロのよ」
教えてくれたのはロサ叔母さんだった。真直ぐな黒髪は相変わらず豊かで、落ち着いた母親らしく後ろに束ねていても額の上に盛り上がっている。彼女は買物袋を置き、僕はロルカを放り出し、挨拶の抱擁を交わす。叔母さんの肉体はもちろんある程度質量を増していたが、やはり黒い服を着ているので未だに現代舞踏家のように見えた。叔母さんは水面を滑走する舟のように音もなく夫に横づけになり、料理の完成を見守った。
僕は再びロルカを取り上げながら、「パブロ叔父さんは本を読まない」という常識の転覆を感じていた。それが叔父の最近になってからの反抗なのか、あるいは連綿と続く陰謀なのかはわからない。僕は本をぱらぱらやりながら、もし「ジプシー歌集」か、いっそ「血の婚礼」の一節が目に入れば面白いと思ったが、その巻はまだはじめのほうで、僕が読み取った文字はどうやら「蝶の呪い」を意味するものだった。蝶。こうしてモデルサとエル・ポアルはレイダにも姿を現す。
パエリアができて、僕たちは四人家族のように食卓を囲んだ。僕は新しい妹のラウラ相手に、持てるかぎりの言語感覚を動員して会話を繰り広げたが、ラウラの宣言通りパエリアがかなり美味しかったので、だんだん淡い黄色をした米をかき混ぜたり、海老や貝を解剖することに夢中になっていった。
取り分けられたものをほとんど平らげた頃、パブロ叔父さんが「もっと食べるか?」と訊いた。僕はこの三日間、いずれも好みではあるが消化の面では理想的と言えない食事を続けていたので、底の塞がった下水管にどんどん新たな廃棄物を投入しているような状態だった。
「もうお腹いっぱいです」
という返事を叔父はどう受け取ったのか、黙って僕の皿を下げ、
「このくらいならいいだろう」
と半分よそった。そして自分には山盛りで二杯目をよそった。せっかくの世界一のパエリアなので、僕はゆっくりと食事を続けることにした。
「スペイン語はできないのよね」
しばらくして僕の手と顎の動きがいよいよ緩慢になってきた頃、ロサ叔母さんは確認するように尋ねた。
「できません。英語と、フランス語がすこし―」
と僕は情けない気持でもたもた答えたが、
「フランス語ができるの? 私もすこしできるわ!」
と叔母さんは、僕の正面の席から目を輝かせた。つまりこの瞬間、カルメンの独裁は終わったのだ。それはパブロ叔父さんが本を読むかどうかということなどよりもはるかに意義ある転覆だった。
「じゃあ、そうね、日本の人は神様を信じてる?」
この叔母さんの質問はいささか唐突だったが、「じゃあ、そうね」という前置きからして、僕のフランス語の程度を知ろうという狙いがあったのだろう。まさか叔母さんがホアンと同じ穴の狢であるとは考えたくもない。
「そうですね、日本には仏教もあるし、固有の神道もあります。でも一般人は、べつに神様のことなんかあんまり考えないと思いますよ。ただ何かしら大きな力があって、ときにはそれが働くことがある。そんな風に考えているんじゃないかな」
「じゃあ私たちと同じね」
叔母さんは内容というよりも表現の面によりいっそうの満足を示したようだった。視界の左右の隅では、一方で寡黙なパブロ叔父さんが自分もフランス語を話せればよかったというような顔で押し黙り、もう一方でラウラが、これでもっと従兄と話しやすくなるだろうという期待に笑みを浮べていた。
食事が終わった。パブロ叔父さんは食器を下げると、大きな体を効率よく動かして食卓を元通りにし、あとは食器洗い機に仕事を任せた。そしてほんのすこしのあいだソファに落ち着いていたが、すぐに立ち上がって店番に向かった。このあたりの機敏さが、食事の後は翌朝まで腰を上げようとしなかった父との明暗を分けたのかもしれない、と思った。
一方の叔母さんは、張り出し窓を全開にして風通しをよくすると、僕をソファへ坐らせて自分と娘で両脇に陣取った。
「煙草は喫うんでしょ?」
と言った叔母さんの手には陶器の灰皿が乗っていた。ラウラは家で大っぴらに煙草を喫えるというのではしゃぎ出した。
「いつもは家では喫わせたくないんだけど、今日はいいでしょう。私も喫うわ。ほんとは喘息だからあんまりよくないんだけど」
こうして談話室の準備が調ったわけだが、それはおそらくロサ叔母さんが僕の訪西を知った直後から懸案としていたもので、僕との会話が可能であるという認識によって、俄然その実行性を増した企画だった。
「あなたのパパのことを話したいのよ」と叔母さんは吹き出した煙を睫毛に絡めながら言った。「カルメンから何か聞いた?」
「いや、何も。お金を渡されただけです」
「悪魔!」
何となく会話の内容を推量したラウラは横合いからそう叫び、痰を吐くような音をさせて不快を露わにした。
「きっとそうだと思ったのよ。カルメンにはちょっと胸のむかつくようなところがあるから」
実際それは、ひとりの叔母からもうひとりの叔母への評価としては相当辛辣なものだった。ロサ叔母さんがそんな言葉を口にすることが、すでに意外だった。だがそれは麗しく響いた。僕もカルメンに対して同様の言葉をひそかにぶつけていながら、それをいままでスペインの家族に公にすることができなかったのだから。
「あなたのパパも生きているうちから妹の性格については色々と言っていたけどね」
叔母さんは続けた。
「それは日本にいるときから言っていました」
「でも問題はカルメンのことばかりじゃないの。あなたのパパは日本からスペインへ戻って、カナリア諸島で仕事をしていたでしょう? それからあまり体調がよくなくて、一度エル・ポアルへ帰ってきたわけ。私はうれしかったけど、でもパパは悲しそうにしていることが多かったわ。そりゃ、あれだけいろいろなことがやりたくて、世界中まわっていたのに、いまじゃ実家にいるんですもの。それにパパは、実家では歓迎されなかったわ。お祖父ちゃんはあの通り厳しい人だから、これからは家でゆっくりしろなんてことは言わないし、それに、そのときにはもう、実家の財産はすっかりカルメンのものになっていたのよ。だからパパは、ここにはおれの居場所がない、なんてよく私に言ったわ」
カルメン叔母がうまく立ち回り、両親の没後に家財をすっかり着服するための手筈を調えたことは、べつに驚くべきことではなかった。彼女ならそうするだろうし、どんな家族にも、カルメンのような人間が一人はいるものだ。そこで僕はハイメから借りてきた「英カタ辞典」を繰り、単語を探して言った。
「それは―予想していました」
「やっぱりあなたもパパの息子ね。頭がいいわ。だからお祖母ちゃんは、早くあなたに会いたかったのよ。生きているうちなに、あなたに渡したいものがあるから」
僕はうなずいた。それがあの百万円という、わずかばかりの金なのだろうか。もう欲求はなかったが、いたたまれず次の煙草に火をつけた。
「あなたのパパはほんとにいい人だったわ。ラウラがちょうど思春期で、手がつけられないようなときも、パパがよく叱ってくれたのよ。ねえラウラ?」
ロサ叔母さんは娘に向き直って、最後の部分を母国語で繰り返した。
「そうよ。たくさん喧嘩したのよ」と従妹は笑った。
幼児のときでさえ大人を泣かせるほどの癇癪を誇ったラウラなのだから、十五歳のラウラには相当の芸当があったことだろう。僕と違って、父の恫喝に縮み上がり、ただ何も考えずに時間が過ぎるのを待つような真似はしなかったはずだ。きっと僕には言えないようなことを、僕には再現できないような口調でまくしたてたに違いない。「私は自分の考えでやってるの! 父親でもないくせに偉そうなこと言わないで! 自分の人生が惨めだからって私に当たらないで! よけいなお世話よ! あなたに命令される筋合いはないわ!」などという具合に。ラウラはいまや分別をわきまえた若い女性になりつつあるように思えたが、それは父の功績でもあるのだろうか?
「あなたのパパはそれからウクライナに行ったわ」ロサ叔母さんは父の伝記をさらに語り継いだ。「仕事を探すのに必死だったから、ウクライナみたいな遠いところでも、仕事があるならと受けたのよ。春になって、パパは体調もよくなってきていたので、これでまた仕事をはじめれば、すっかり何もかもうまく行くという希望を持っていたわ。お祖父ちゃんはもう亡くなっていたけど、お祖母ちゃんにもよろこんでもらえるし、それに、お金ができれば、あなたのママにも返せると思っていたのよ。いつもママに申し訳ない、って言ってたわ。たくさんお金を借りてしまったからって。でも、春でもウクライナは寒いのよね。あんなところへ行くべきじゃなかったわ。結局、新しい国で、疲れることばかりで、すぐに以前よりも体調が悪くなってしまった。耐え切れずにまたスペインへ戻ったときには、もう手遅れだった。それはあなたも知っているでしょうけど」
僕は黙っていた。父が母に(より正確には、母の実家に)借金を返すつもりがあったというのは、正直なところ信じられなかった。申し訳ないと思っていたのは事実だろう。だが父には、申し訳ないと思うことはすでに譲歩であると考える悪い癖があった。父には少なくとも半額を返済する責任があったはずだが、僕の知るかぎり一向それを果たそうとせず、母もそれを期待してはいなかった。だからどうして父がそんなことを言ったのか、僕は理解に苦しんだ。かといって墓のなかの父を責める気にもなれない。僕はもう父を過去として葬っていた。その意味では母よりも僕の方がずっと冷淡だった。
だが冷淡になりきれないのは、カルメンが父の生前から家の財産を管理していた、という事実に対してである。すると僕への百万円は、祖母の個人的な預金から出ているのだろう。だとすればカルメンには、まだ僕に隠していることがあるはずだ。もし父が本当に償いを望んでいたなら、そして死の直前まで職を求めて転々としていたというのなら、父は何がしかのものが僕に渡るよう、遺言していたはずだ。それが僕の手から母に渡り、母が涙を流すことを(母はそういうとき、涙を流すことのできる人だから)、父は願っていたはずだ。ロンドンへ帰るのはもう明後日だった。それまでにはっきりさせることができるだろうか?
ロサ叔母さんとラウラは身支度を調えにそれぞれの寝室に引き上げた。街を案内してくれるというのだ。僕は浴室を拝借した。白と黒の石が効果的に使われており、やはりなんとも清潔だった。磨き上げられた鏡に向かうと、薄い鬚がすこし伸びている。父がかつて生やしていたツァーリのような鬚は、死ぬまで剃らずにいても生えっこないだろう。
父のことばかり考えていたからだろうか、鏡を見て思ったのは、やはり僕は父に似ているし、以前よりもさらに似てきている、ということだった。初めてエル・ポアルを訪れたときの五歳の頃の面影も、あるにはあった。だが成長するにつれてはっきりと刻まれてきた陰翳は、まるで父の顔が僕の顔のなかから這い出して来つつあるようだった。
もうちっとも必要を感じなかったが、落ち着かないので、居間に戻るとまた煙草を喫った。すると同じように指のあいだから煙を立ちのぼらせている男の写真が目に入った。若いときのパブロ叔父さんだ。僕がはじめて会ったときよりもずっと若く、まだ少年らしさを引きずった、物事に対して真剣になりきれない様子で、すこし天井を見上げるようにおどけていた。煙草を持っていないほうの手は側頭骨を支えており、あたかも哲学者の肖像写真を真似ようとして、シャッターを切る直前に気が緩んでしまったかのようだった。この微笑ましい写真は窓と直角に飾られていて、正面に飾ってある、やはり非常に若いロサ叔母さんの肖像写真と向かい合っていた。叔母さんは当然まだ子供を産んでおらず、その美しさには母性が浸透していなかった。目はまっすぐに前方を警戒し、唇は場合に応じて悪態をついたり、愛撫したりできるように、俊敏な動作にそなえて固く結ばれていた。こうしてみるとパブロ叔父さんの目が宙に浮いているのは、正面の女と目を合わせる勇気がないからとも取れた。いわば子を成すために村落までやってきたアマソナに見込まれた木こりのようなものだ。
二人の写真は腰窓から差す午後の太陽に黄色く反射し、オレンジ色の壁の上でちょうどよいアクセントを形成していたが、下手をすれば燃え上がってしまうような気もした。間もなく出かけようというこの時間、外は春とはいえ暑さの頂点をきわめていた。いや、実際はむしろ涼しいくらいなのだが、どうしても暑そうに見えてしまうのだ。そういえば僕が十三年ぶりにスペインに来て以来、誰もシエスタについて口にしていなかった。それが季節のせいなのか、経済の発展によるのか、それとも歴史とともに文化の個性が埋没してゆくヨーロッパの宿命のためなのか、判断がつきかねた。それに爽やかに乾いた服に着替えた叔母さんと従妹が戻ってきたので、シエスタのことはそれきりになってしまった。
僕たちは人通りと直射日光を避けるためにいくつかの路地を抜けたあと、最近になって拓けたらしい商業地区へと続く大通りを歩いた。ダリの展覧会が近く開催されるというので、何枚かのポスターが目に入った。マドリッドやカタルーニャという名前のついた通りがあった。そしてセグレ川にかかる橋の先に、頑丈な梁や硝子を駆使した近代的なモールが見えた。最近まで空地の多かった街の特権は、いきなり斬新な建築を遠慮なく導入できることだ。
「あなたに何か服でも買ってあげたいんだけど」
ロサ叔母さんが申し出た。
「いや、お構いなく」
「いいえ、買うわ。昔、あなたのママがラウラにすごく上等の服をくれたことがあったでしょう。モスキーノだったわ。あの頃はお店もなかったし、生活も苦しかったし、だからお返しも何もできなくて、申し訳なかったのよ」
断る理由もないので、僕は何か買ってもらうことを念頭に置いて二人と店をぶらぶらした。といっても、いちばんはしゃいでいたのはもちろんラウラで、彼女はいろいろなものを手に取っては母親にそれをどう思うか尋ね、つまり買ってくれるかどうかを打診した。ロサ叔母さんは洋服店のマダムとして意匠や色についてあれやこれやと意見を述べ、ときには店員に在庫を確認したり、色違いのものがないか問い合わせたりした。新しい商業施設には新しい雇用がついてまわるので、店員にはやはり移民が多く、僕には及びもつかない流暢なカタルーニャ語を話す中国人などが、愛想笑いをふりまきながら対応した。中心の建物を出て裏へまわると、そこは黒を基調にした店舗が並ぶ石畳の商店街になっていて、ヨーロッパを拠点とするブランドが軒を連ねていた。もし僕が父の商人の血をもっと濃く引いていたなら、さっそく買い付けについて考えたかもしれない。物価はまだまだ安いのだ。
僕は結局、シャツを一枚と、靴を一足選んだ。ロサ叔母さんとラウラは口々に、
「かわいいじゃない」
「おしゃれね」
などと褒め、そんなことを滅多に言われない僕はうろたえた。
こうしたわけで、カフェに落ち着いた頃には、僕たちはすっかり打ち解けていた。その証拠にロサ叔母さんは、「ねえ、二人のどっちが好み?」と悪戯っぽく訊いたほどだ。僕は二人とも好みなので、何とも答えようがなかった。
僕とロサ叔母さんはまた煙を吐き出した。昼食後の一服で満足したらしいラウラは、もう充分という顔をした。
「あなたやっぱりパパに似てるわね」
ロサ叔母さんはいまさらのように言った。
「顔もそうだけど、仕種が似てるのよ。手の形も。パパもきれいな指をしてたわ。ピアニストみたいな。それであなたと同じように煙草を持って、ひらひら動かして。不思議ねえ。でもパパよりだいぶ痩せてるわ。日本の男性はみんな細いの?」
再会のすぐ後で、祖母も僕が痩せていることを指摘したのだった。僕が痩せているというのはそのときが初耳だった。僕は肥っているわけではなかったが、日本の基準ではまだ肉厚の部類だった。そもそも父の遺伝子のせいで胸郭が迫り出しているので、人によっては僕が地道な鍛錬を積んでいるように錯覚するのだった。
「日本の男性はもっと細いですよ。胸なんかに肉がついていないから」
「そう? ―あなたも細いわね」
ロサ叔母さんはラウラに向き直っていた。
「私もいろんな人に、細い細い、もっと食べろって言われるの」
ラウラはむしろ誇らしげだった。
「ポアルへ行ったら、また細い細いって言われるでしょうね」叔母さんは続けた。「でもみんな、パパに似てるって言うと思うわ。ポアルへはいつ行くの?」
「明日」
「あなたの知ってる人も減ったでしょうね。亡くなったり、モデルサへ移ったり」
その通りだ。隣りに住んでいた自転車乗りのアダンさんも、猫の餌付けにかけては右に出る者のなかったザラザラおばさんもすでにこの世の人ではないことを、僕はカルメンや父を経由して知っていた。
「そういえば、ソニアという女のひとがいましたね」
僕はとつぜんあのジプシー娘のことを思い出した。実際には今日のラウラより年下であるはずなのに、放浪によって玄人の気風を養っていたあの娘は、いまこうして目の前で重ねて見ても、両親に愛されて暮すラウラよりも大人びていた。かといってロサ叔母さんのような臈長けたところがあるわけでもない。
「ああ、ソニアね。あの娘はまだあなたがポアルに遊びに来ていたときからもういなくなったわよね。あの工場の持主に可愛がられたりしていたけど、別の男とも遊んで、妊娠して、そのまま消えちゃったわ」
ロサ叔母さんは呆れたように、そういう意味のことを説明した。ソニアという名前の歴史をたどれば、彼女のことをソフィアとかゾフィーとか、いっそソニア以上の親しみを込めてソーネチカと呼んでも構わないかもしれない。そうすれば彼女の名前はどことなくチュパチュプスに似てくる気さえする。しかしソフィアという語にふさわしい「知」が彼女に宿っていたとは言いきれないようだ。むしろエル・ポアルのご意見番たちの声を総合すれば、ソニアという女神が司るのは「痴」のほうだった。
そろそろ僕たちはブティックに戻らなければならなかった。今夜はカルメン、ハイメ、それにホアンも入れて大人数で夕食をとることになっていた。ラウラは明らかに気が進まないふうだった。新しく仲間に加わる三人のうち、ラウラは誰も愛していない。少なくとも、表面的な意味においては。
(第8回 了)
* 『故郷-エル・ポアル-』は来月から毎月06日に更新されます。