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『故郷-エル・ポアル-』(第10回・最終回)

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子供の頃、帰国しようとしない父親の身代わりのように母親といっしょに夏を過ごしたスペインの田舎町、エル・ポアル。けだるいシエスタの、まどろみに包まれたような父親の故郷。僕はエル・ポアルに、父の、そして自分のものでもある故郷に惹き付けられ、十三年の時を隔ててそこを再び訪れる・・・。日本文学研究者であり、詩人、批評家でもある大野露井の辻原登奨励小説賞受賞作!。

by 大野露井

 

 

 

 

 帰るまえに小さな村を一周することになり、まず隣家のアントニオを訪ねた。青年から中年になった彼はますます恰幅もよく、いよいよ典型的な力持ちに見えたが、あれほど似合っていた農夫の職業を捨て、いまはモデルサの製紙工場に勤めている。はじめは警備員として、果樹園で培った膂力を万一のときのために温存していたのだが、景気がよくなるにつれて会社は人手不足に陥り、正規の工員に起用されたのだ。しかもアントニオの口利きで、エル・ポアルの多くの農夫がこの会社に職を得た。新しい仕事は農業より楽で、将来の保証はなかったが、とりあえず金になった。

 「スペイン語はできないのかい?」

 とアントニオも僕をいじめたが、それでもうれしそうにしてくれた。彼には奥さんがいて、いたいけざかりの息子がいて、斑の犬もいた。

 「ちょっと上がっていきなさい」

 と言ったのはアントニオの両親だった。実を言うと、僕はその老夫婦を覚えていなかった。しかし向うは覚えているのだから上がらざるを得ない。

 お爺さんはハンプティ・ダンプティその人のような卵型の体を引きずり、狭い階段を昇った。お婆さんはゴーフルを出して、「食べな食べな」を連発した。それに飽きると、今度は僕の背中を叩き、「細いねえ、細いねえ」を連発する。ロサ叔母さんの予言は的中したのだ。

 お婆さんは、十三年前のエル・ポアルでは唯一の選択肢だった、家事と夫の手伝いだけに費やされる人生から解脱していた。改装してきれいになった一階で、村の郵便局長を務めているのだ。エル・ポアルは壮健な労働力を失ったが、そのかわり村に残った人々には、余った職が割り振られたのである。

 僕はふと、あの「バルベンスの奇跡」を思い出していた。あれ以来、バルベンスについての話題が国外にまで広まったことは一度もないだろう。不意に一攫千金を成し遂げた村人たちはどうなったのだろうか。例に洩れず、無茶な浪費をしてすかんぴんになったり、調子にのって愛人を作ったばかりに家族を失ったりしたのだろうか。いずれにせよ、村はおそらく今日のエル・ポアルとよく似た、劇的ではないが着実な変貌を遂げているだろう。

 アントニオ一家と別れると、今度は村の中心にある小学校のまえの広場まで歩いた。村にはまだまだ子供たちが生れているようだ。お迎えのついでに、母親たちは噂話に白熱していた。若い母親たちは僕のことを知らないので、カルメンが連れている、このエル・ポアルの住人のように見えなくもない東洋人は誰だろう、という顔をする。しかし彼女たちのなかにも、最近になって村に仲間入りした移民が混ざっていた。ホアンが涎を垂らすスラブ系の若奥さんも見つけた。

 新参者たちを見つけたことで、僕は自分にもこの村のなかに居場所が残されていると感じた。カルメンの英語力で仕事があるなら、僕も必ずどこかの企業から歓迎されるだろう。まして日本との取引にも対応できる。たいしたことのない給料でも、ここで暮せば使うあてもないから溜まる一方に違いない。それをちらつかせて僕もスラブ系の娘をつかまえてみるのはどうだろう? 僕はいやでもカタルーニャ語を覚えるだろうし、家を継ぐことだってできる。読み物や書き物をする時間もたっぷりとれるはずだ。そうして子どもが生れれば、その子は根っからの村人や移民やその双方の間に生まれた他の子どもたちと、エル・ポアルの新世代を築いてゆくことになる。より開かれて、より雑然としたカタルーニャの小さな村で。

 そんなことを考えた原因が、スペインへ来てから一度も恋人への電話が通じないことにあるのはわかっていた。僕には話したいことがたくさんあったし、ここに来てわかったことをすべて話せるくらいの関係でもあったはずだ。彼女とはこれっきりなのだろうか? それは旅先の心細さが煽る杞憂だろうか。僕は不安になるのが嫌いではない。それは明らかに父ではなく母から受け継いだ性質だ。

 カルメンと僕は、もう車を駐めた道につながる路地を歩いていた。ただでさえ静かな村なのに、その路地に至っては寂滅の感があった。砂色の建物が続き、バルコニーの格子が黒く垂れ込めていた。一軒の家から、ひときわ姦しい小鳥のさえずりが響いた。

 「この家には、昔から小鳥が集まるのよ。だからこの家の屋号は『小鳥の家』なの」

 「じゃあうちの屋号は?」

 「そんなものないわよ」

 僕はへこたれなかった。

 「じゃあうちの名字の意味は?」

 「そんなものないわよ。ただの名字よ」

 実は、僕は鎌をかけていたのだ。名字の意味も調べて知っていたし、かつてこの村にうちと同じ名字の有力な一族がいて、あのポアル侯爵の城館に引けを取らない屋敷を構えていたこともわかっていた。その一族と僕の家がどういう関係にあるのかまではわからなかったが、どちらにしろカルメンが知っているわけがない。とにかく僕はカルメンよりも自分の家に詳しくなっていたわけだし、下手をするとエル・ポアルの歴史についても、村人の多くより知っていた。それはもしかすると、外からしかこの村に近づけない僕の復讐なのかもしれなかった。

 最後の曲がり角まで来ると、唐突に大きな四角い建物が現れた。

 「あれは養老院よ。最近は混んでるの」

 高齢化だとか、老人の孤独だとかいう問題が、この村にもやはり波及しているわけだ。

 「以前は屠殺場だったの。お祖母ちゃんは、あそこに入れるなら殺してくれって言ってるわ」

 僕は思わず僕を声をあげて笑った。そういう気の利いたことができるのが、エル・ポアルのような僻村の特権なのだ。

 間もなく僕たちは家のまえに戻ってきた。そこは自転車で何度も塗りつぶした道であり、ソフィアと腕を組んだり、祖父と手とつないだりして歩いた道だった。臑くらいまでの高さの草が、その道の向うに限りなく続いていた。納屋が、雲一つない空を縦に半分だけ隠していた。あとはただ草と空がどこまでも広がり、この世の果てを指し示していた。

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 簡単な夕食の後、さっさと寝室に引き上げると、僕は昨日パブロ叔父さんに託された父の書類入れをすこしだけ覗いてみた。まず目についたのは父の履歴書だった。直訳すると「生涯歴程」になる、あの堅苦しい形式ばった履歴書だ。

 そこには目新しいことはあまり書いていなかった。ただ僕の知らない仕事を父がいくつか経験しており、日本に来てからも大学で経営学の短期講座を受講していたことがわかった。もちろん、ちょっとした嘘が混ざっていないともかぎらない。勤勉で、経験豊かな人材を装うこと、それが履歴書の目的だからだ。

 それに、父のやりたいことが何であったのか、僕には未だにわからないままだ。それは履歴書を見てもわからない。経歴を言語に変換してみると、父はカタルーニャ語とスペイン語の話者として育ち、英語を学び、フランス語で暮し、ドイツ語で働き、日本語で結婚した。けれども僕や母とは、あれほど日本語が堪能であったにもかかわらず、心が通わなかったのだ。そして再起をかけてロシア語を学んだとき、父はその難しさに辟易した。父の本当の言葉とはどんなものだったのだろう?

 だが僕はもう父のことを考えすぎていたので、この辺でやめにしたくて、履歴書を押し込んでしまった。代わりにタイプされた手紙がベッドに滑り落ちた。ロペス氏からの手紙だった。

 ロペス氏は日本で父と知り合ったスペイン人で、父のように商売に走った人間とは対蹠的に、学問の道を進んでいた。ただし深入りしすぎて、つぎの学校に入るためだけに学位を取得するという、ほとんど自虐的な行為を繰り返していた。だからいつまでたっても貧乏学生のままだったが、当然ながら父に輪をかけて日本語が上手く、電話がかかってくると、母はそれがスペイン人からの電話だとなかなか気づかないほどだった。

 その手紙はロペス氏のあまりにも真面目で繊細すぎる性格を素直に反映していて、冒頭を読むかぎりでは、間もなくウクライナへ発つ父を激励するために書かれたものであるはずなのに、七枚もびっしり続いていた。父とロペス氏の衒学的な約束事なのか、手紙は英語だった。文中には人種的な偏見もかなりあったが、私信なので目をつぶらなければならない。それに当時の日本の政治に批判を加えている箇所は、あまりに幼稚で短絡的だった。だがこれもロペス氏の自由だ。僕は二度ほど読み返し、おもしろいところだけを記憶にとどめることにして、枕元の電灯を消した。

 

 君がこれからやり合おうとしているロシア人という連中は、最も腐敗した野蛮人だ。彼らは様々な国で、あらゆる違法な活動に加担している。彼らを相手にするときは二度ずつ考えて、泥棒になった気持で、向き合うべきだ。とくにユダヤ系のやつらは、いちばん下衆で嘘つきだからね。

 体はどうだい? 僕はこの二月に入院した。僕は仕事から帰り、ニュースを見ようと坐った。すると大きなくしゃみが出て、そのまま発作が起こった。医者によると、首のなかのごく細い血管に血の塊が詰まったそうだ。僕たちの年齢でも、もっと若くても、起こることだそうだ。すぐに病院へ運ばれたのは運がよかった。ヘパリンとクマジンを投与された。脳出血の危険を抱えたまま、十日ほど入院した。

 発作は僕の心に傷を残した気がする。自分がいずれ死ぬべき存在であるということを、僕は思い出してしまった。だが逆に、生あるうちに何か生産性のあることをしなければならない、という希望に満ちた刺激も受けた。それに僕は幸運な部類だった。同じ病棟には、僕よりも若いのに、もっと深刻な発作を起こし、半身、あるいは全身麻痺に陥っている患者もたくさんいた。三十七歳の弁護士は、右手右脚の感覚を失い、失語症のせいで一つも文章を言いおおせることができない。それから三十二歳の編集者は、とても魅力的な女性だが、やはり半身不随のうえ失語症に襲われ、あろうことか夫に見捨てられてしまった。二人には三歳の息子もいる。夫は、まだ若い自分の人生が、不具になった妻と幼い息子の重みで潰されてしまうことに耐えられなかったのだ。

 ところが僕は、四肢もしっかりしているし、言葉も失わず、記憶もはっきりしている。それは意志の力によるところが大きいと思う。僕はすぐに歩き、無理にでも腕を振り回し、手足の指を蠢かせた。走ることだって造作もない。僕はまだ若い。これが年寄りになると、意志の力を発揮する前にお迎えが来てしまうのだ。

 君の健康と成功を願ってやまない―。

 

 

 

 すこし眠っただろうか。とにかく僕は暗い部屋で目覚めた。ひどく力が漲っていた。やはりあの屋根裏の封筒をそのままにして帰るわけにはいかない。第一の封筒に現金が、第二の封筒に写真が入っていたのだから、第三の封筒にも何か意味のあるものが入っているはずだ。もう今夜しかない。

 玄関の横手に打ちつけられた鉤にぶらさがっている鍵を音もなく掬いとって、音と縁を切ったまま階段を降りる。階段はいつも通り人気がなく、誰にも会わない。いつもの二周に、さらにもう一周して、駐車場に出る。中学生の愚連隊の姿も見えない。今夜は僕のほうが犯罪者に近い。車に乗り込むと、ブレーキに足を載せてエンジンをかける。かけようとする。

 こんな馬鹿げた話もない。僕はオートマチックしか運転できないのだ。そしてこの国でオートマチックに乗るのは相当の変わり者だけだった。数メートルおきに車体に大きなしゃっくりをさせて、えっちらおっちら進んでゆくことなどできるわけがない。そもそも、この闇夜でエル・ポアルへたどりつけるはずもなかった。ほとんど一本道とはいえ、あの細くて奇妙に込みいった交差点を飛び越え、無数のラウンドアバウト―晴れた朝に、窓を開け、それこそ回転木馬のようにひねもす過ごすこともできるラウンドアバウト―に、波風を立てずに吸い込まれたり吐き出されたりすることができるわけがなかった。

 頭に血がのぼっていることは明らかだったので、煙草をくわえて広場に歩いた。煙がしみて閉じた瞼を、庁舎まえの街灯が突き破る。このまま帰って寝ても、ベッドから出もしないでさっさと眠りのなかへ逃げ戻るよりはましだったろう。だがそこでタクシーを見つけてしまったのである。

 「エル・ポアル」

 村の名前なら、村人よりもうまく言えた。今日、これほどこの村のことを考えた人間は他にいないだろう。

 「はいよ」

 屈強そうな運転手はその後もいくつか言葉を発したのだが、わかるはずもない。剥き出しの土地の言葉だ。僕は黙っていた。だが広い肩越しにバックミラーに浮いている赤ら顔の目は笑ったままだった。そして次の質問は聞き違いようがなかった。

 「日本人か?」

 「そう」

 運転手は満足そうに見えた。まだ何か言いたげに、鏡のなかの目が泳いでいる。熟練なので、もう道を見る必要などないのだろう。

 「ちょっとスペイン人っぽいな」

 おそらくそう言ったのだ。だいたい、まったくの日本人が夜中に一人でエル・ポアルへ行くだろうか。気がきかない運転手だと思いながら、しばらく言葉を練って返した答えは、同じくらい見当外れだった。

 「お祖父さんの家だ」

 そのお祖父さんはもういない。お父さんもいない。あそこは僕の家だ。

 「ここで待ってろ」

 村の入口で車が砂利を蹴散らして止まったとき僕がそう言ったのは、運転手に腹を立てていたからでも、ロペス氏の意志の強さに触れたからでもない。咄嗟に命令形しか思い出せなかったのだ。

 木戸の閂はかかっていない。泥棒でもないのに、灯りをつけずに手探りで玄関まで昇ってゆく。夢遊病者のように。石段の冷たさが靴底から伝わってくる。白い扉。ノブの上に突き出ている金属のへらを親指で下げると、音もなく開く。それほどこの村は平和なのだ。昔もいまも。僕はやはり泥棒なのかもしれない。四半世紀に一人の泥棒だ。このまま、あとすこし押したら、蝶番が鳴くだろう。さすがにドイツ人も面食らって叫ぶかもしれない。そうなったら僕も面食らうに違いない。元通りに閉める。そして咳払いをしてから、激しく叩く。

 「どなた?」

 それでもドイツ人は面食らっていた。巻毛のほうの学者だ。

 「僕です。昼間の」

 「ああ、日本から来た」

 「そうです。大事なものを屋根裏に忘れて。明日イギリスへ帰るので。夜分にすみません」

 僕は自由に話せる言葉のおかげで、すっかり紳士的な態度に戻っていた。

 「叔母さんは一緒ではないのですか」

 「ええ、わざわざ着いてきてもらうこともないですから」

 「しかし、ここは叔母さんの家ですね。私たちは叔母さんからこの家を借りています。一応、確認したほうがよいと思うのですが」

 「僕が自分の家に入るのに、どうして叔母の許可がいるんですか。僕の名前が書いてある封筒を持ち帰るだけなのに」

 僕のなかの紳士はもうひきあげていた。決まりごとにうるさいのはいかにもドイツ人らしい。おまけに学者だということがさらにこの巻髪の男をやりづらい相手にしていた。奥から眼鏡のほうの学者も目を覚ましてこちらに出て来る。もう迷惑そうな顔をしている。この連中もカルメンと同じわからず屋なのだ。

 「とにかく、電話をしてみますよ」

 僕は持ち上げられた受話器を、ほとんど奪うようにして降ろさせた。

 「電話はしなくていい。ここは父の家で、僕は父の息子なんだから」

 

 

 

 次の朝、僕は冷たいコーヒーとマドレーヌを無心で食べた。

 カルメンが仕事から戻り、顔を合わせることになるのは気が重かった。

 昨夜、カルメンは間もなく僕の失踪に気づき、すぐ後ろからタクシーで追いかけていたのだった。「前の車を追ってちょうだい」とカルメンが探偵のような台詞を吐いたかはわからない。ただ僕が運転もできないのに車の鍵を失敬したせいで、タクシーを雇わなければならなくなったことにはずいぶん腹を立てていた。

 「勝手に出かけないでちょうだい。何をするつもりだったの?」

 もう、僕にもよくわからなかった。

 「もう一度あの家を見ておきたくて」

 帰りのタクシーでの会話はそれだけだった。僕が待たせておいたタクシーに同乗して、二台目は帰した。僕の顔から色々なことを読みとった運転手は、もう僕には話しかけなかったが、カルメンとはずいぶん親しげに話していた。内容はまったくわからなかった。帰るとすぐに寝た。

 荷物をまとめ、居間の椅子で細かく頭をふるわせている祖母と何度か控えめな言葉を交わしているうちに、昼食の時間になった。車に乗り、町の中心の広場からすこし外れたところにあるレストランまで、四人で向かった。

 天井の高い、現代的な内装の店で、よく手入れされた白髪を軽やかにまとめた女主人が、気取りを交えた作り笑いで迎えた。ラウラたち三人はすでに席に着いていた。祖母を筆頭にカルメン、ハイメ、僕が壁側に坐り、通路側のパブロ叔父さん、ロサ叔母さん、ラウラと向き合った。ホアンは抜きだ。

 食事を選んでしまうと、ラウラは手持ち無沙汰になった。というよりも、できるだけカルメンのそばにいたくなかったのだ。

 「煙草を喫いに行かない?」とラウラは訊いた。

 「いいよ」と僕は答え、席を立った。

 「やめなさいよ、もう来るから」

 カルメンは声を荒げた。僕たちは無視して外へ出た。

 「ああ、本当にいやになっちゃう」

 「仕方ないよ」

 実際、仕方がないとしか言いようがなかった。僕と違って、ラウラはこの先もしばしば叔母と顔を合わせなければならない。

 それでも煙草を喫ううちに、ラウラは機嫌を直した。

 「いい季節ね。春に来たことないでしょ?」

 「うん。日本よりいいね」

 「そうなの?」

 「だって僕は花粉症だから。日本は花粉がひどいんだ」

 「そう。―それにしても、あなたスペイン語ができてるじゃない!」

 確かに、僕たちの会話はずいぶん自然な往復を見せていた。

 「何しろ頭がいいからね」

 僕は顳顬をつつき、おどけて見せた。

 「本当にそうよ」

 「二週間もあれば、すっかり話せるようになるかもしれないよ」

 だが僕は今日でスペインを離れる。

 店に戻ると、間もなく食事が運ばれてきた。前菜はみんな同じで、何やら海産物を使った揚げ物だった。

 「シュロンプよ」とカルメンが得意げに説明した。

 「ああ、シュリンプですね」と僕はもっと得意げに納得した。ロサ叔母さんとラウラは顔を見合わせて、意地悪な微笑を浮べた。

 次にはそれぞれ頼んだ品が運ばれてきた。僕の皿には付け合わせにサーモンのパテとクラッカーが乗っていた。おいしかったので、僕は先日獲得した伊達男の地位を発揮して、ロサ叔母さんとラウラにおすそわけした。

 「ありがとう」

 「優しいのね」

 僕のふるまいは好評を博し、ロサ叔母さんはお返しにやわらかい貝柱の蒸し焼きを差し出した。

 「半分だけいただきます」

 「半分でいいの?」

 こんなやりとりが、しかもフランス語を交えて行われていたので、カルメンが青ざめたのを僕は見逃さなかった。僕とロサ叔母さんに共通の言語が存在したことに、カルメンはこの瞬間まで気づいていなかったのだ。レイダでたっぷり過ごした一日のあとでレストランに集まったとき、どうして身振り手振りと通わない意思のために疲れ切っているはずの僕が笑顔を浮べていたのか、冷静に考えてみるべきだったのだ。それなのにカルメンはホアンの相手をするのに夢中だった。

 それからというもの、カルメンは落着きを失ってしまった。自分だけが僕と会話することができ、つまり僕に与える情報をすべて取捨選択、あるいは捏造する権利があるという確信は、わずか数秒のにこやかな場面のために砕け散ってしまった。父の最期や、自分や息子の評判、そして祖母との関係についてなど、カルメンは何一つ僕に知らせる必要はないと思っていた。ところが僕はすっかりその辺りの事情に通じており、しかもカルメンがとくに知られたくないような事実や噂を、優先的に耳にしていたのだ。僕を夕べのちょっとした活劇も、それで説明がつく。

 この天敵の窮地をいちはやく察知したのはラウラだった。僕たちはもうデザートを食べ終え、コーヒーに取りかかっていたが、そこでラウラは、今度は店内で、煙草に火を点けたのである。

 「やめなさいよ、喫わない人もいるのに」

 カルメンはさっきよりも大きな声を出した。確かにその忠告には一理あったが、スペイン人が自分の喫わない煙草の煙にそこまで神経質になることはないように思えたし、そもそも決して大きくない店には僕たちしかいなかったのだ。それに彼女自身が一昔前までなかなかの愛煙家であったことを考えると、それは単純なラウラへの憎しみが、喫煙という行為に向いているだけのことだった。

 ラウラを援護してやらなければならない。僕は席から手を伸ばし、隣りのテーブルに置いてあった灰皿を取り上げた。ラウラはもういくらか灰を床に落としていたが、すくなくとも吸い殻まで捨てる必要はなくなった。

 「ありがとう」

 「いいえ」

 ところがそのとき店主がやってきて、先ほどの愛想笑いをどこかに置き忘れたまま手荒に灰皿を片づけ、もっと大きな、水の入った蓋つきのものに取り替えた。

 「あれ、釣り銭を入れるお皿だったみたいね」

 ロサ叔母さんが謎を解くと、僕たちはどちらからともなく、気の抜けた笑い声をあげた。カルメンが席を立ったのは、ちょうどそのときだった。

 「こんな非常識な連中とは一緒にいられないわ」

 そのような意味を言ったことは、何語が母国語であっても察しがついただろう。僕は痛快だった。そこで自分でも煙草をとりだした。

 すると今度は、母親思いのハイメが席を立った。一言も発しなかったが、若い力で叩きつけられた店の扉は、大きな音を立てた。僕は最後の最後でようやく従弟の癇癪を見ることができた。

 「見た? いまの」

 ロサ叔母さんはそう言ったが、必ずしも非難しているわけではなかった。叔母さんはやはり甥っ子が可愛いのだ。母親の立場が悪くなったことに居たたまれず店を飛び出した少年を、放っておくわけにはいかない。叔母さんは立ち上がって会計をすませた。もはや一刻も早く帰ってほしいという顔をしている店主に向かって歩くロサ叔母さんのお尻の大きさは、まさに彼女の慈愛の大きさだった。叔母さんはまるで、河馬の下半身に人間の乳房を持つエジプト辺りの地母神のようだった。

 そうして残された僕とラウラは、黙って静かに微笑んだまま、天井高く煙を吹き上げた。すくなくともこの場で僕たちは勝利を収めたのだ。二人の力で勝ち取った白星を煙にして、僕たちは味わっていた。パブロ叔父さんはさっきから何一つ発言していなかった。叔父さんの人生の大半は沈黙のうちに過ぎたのだし、そうすることで叔父さんは幸福になったのだ。そして上座の祖母も、このときまでほとんど口をきいていなかったのだが、急に楽しそうにこんなことを言った。

 「おや、あんたも煙草を喫うのかい」

 パブロ叔父さんの性格が祖母ゆずりであることに、僕はようやく気がついた。

 外へ出ると、がなり立てるカルメンをロサ叔母さんがなだめていた。ハイメはすでに車に乗っていた。

 「ほんとに嫌だ、あの悪魔」

 ラウラはまた怒っていたが、いまは別れについて考えなければならなかった。

 「あまり気にしないで」

 そう言って僕は従妹を抱擁した。そしてパブロ叔父さんと握手をした。それから車のそばまで行くと、いささか慌ただしく、ロサ叔母さんとキスを交わした。

 車はすぐに動きだした。カルメンは一刻も早くその場を離れたかったのだ。

 「ラウラをもっときちんと監督するように言ったのよ」

 「そうですか」

 大通りに差しかかったとき、カルメンはようやく口を開いた。それでも、あからさまにラウラに加担していた僕を責める様子はなかった。そんなことになれば僕にも攻撃する用意があることを、さすがに嗅ぎ取ったのかもしれない。だがどちらかと言えば、小癪なラウラに泣かされたことが悔しくて、それどころではないのだろう。そう、このときカルメンは明らかに泣いていたのだ。涙はほとんど流さず、そのかわりしばしば洟を啜り上げて。

 一方のハイメはもうすっかり落ち着いたようだったが、道が混んでくると自動車が急停車するたびに「ホデー」という声を発した。「くそったれ」という意味だった。

 僕はと言えば、ただもうすぐ別れることになるスペイン北東部の景色と、相変わらず静かに佇んでいる祖母の横顔とを、かわるがわる眺めていた。

 

 

 部屋に戻って鞄を運んでも飛行機にはまだ間があったが、カルメンはさっさと僕を送り出して楽になりたいという気持を隠そうとしなかった。僕もまた、いまできることはすべてやりおおせていた。コーヒーをもう一杯、ゆっくり飲んでもよかったが、それは六時間後にロンドンの自宅に着いてからでも間に合いそうだった。

 「じゃあ行きましょうか」

 僕のこの言葉に、カルメンは無理に勝ち誇ったような笑顔を作った。すこし同情していたので、皮肉な微笑を返すことは控えて、祖母に最後の挨拶をした。

 「今度は十三年もしないうちに来るんだよ」

 「うん」

 「それからスペイン語を勉強おし。カタルーニャ語でなくてもいいからね。スペイン語だけでもね」

 「うん」

 僕は「うん」しか言わなかった。それは十三年前までと比べて、いささかの進歩もない会話だった。だが、もし鳥の言語のようなカタルーニャ語を自在に操れたところで、「うん」以外の言葉を発したとは思えない。

 車は走りだした。あっという間にアレクサンドラトリバネアゲハの触覚の先から飛び出した自動車は、すぐに僕を草地の寂れた空港へ送り届け、そこからは一羽の鳩が、僕を背中に乗せてかつての大英帝国の首都へ運ぶだろう。とても昆虫やペットには例えられないその大都市で僕はもうしばらく暮し、やがて僕の唯一ではないが最も親しみのある故郷へと帰ることになる。東京というその石と土と硝子の箱庭は、ロンドンとも比較にならぬほど巨大なのだ。

 こうした誇大妄想に彩られた風景の幻に襲われながら、もう一度モンシロチョウの幽かな姿を見たいと思ったのは自然のなりゆきだった。僕はスペイン人らしい強い口調でその希望を伝えてみようと思った。

 「エル・ポアルを通って」

 そう言えばどうなるだろうか。カルメンは昨夜の一件のことを蒸し返して小言を並べてから、呆れたように、進路を変更するだろうか。そしてまた僕に「手を焼いた」ことで、内心、自信を取り戻すだろうか。それともすっかりいつもの調子にかえって、「方向が逆よ」と突き放すだろうか。

 カルメンがどう思うかは、もはやどうでもいいことだ。むしろ、実際にエル・ポアルを車で走り抜けることには、あまり意味がなさそうだった。僕は昨日、十三年ぶりにあの村を訪れた。それはすでに僕のなかにある村だったし、僕に必要なのはそれだけだった。そこはもう車を使わずに行ける距離にあった。

 だから空港でカルメンと別れたとき、僕は寂しいよりも解放感に清々した。そしてそのぶん、搭乗手続きの列で横合いから肩を叩かれたときは、幽霊でも見たように驚いてしまった。あの二人のドイツ人だったのだ。

 「昨日はすみませんでした。出張ですか?」

 僕はまたすっかり紳士にかえっていた。

 「いえ、あなたに会いにきたのです」

 巻毛の学者が振り返ると、眼鏡の学者が鞄から大ぶりの封筒を取り出した。

 「気になったので、屋根裏へ上がらせてもらいました。確かにあなたの名前が書いてある封筒があって、この通りの重さですから、なるほど大切なものに違いないと思って」

 礼を言うか言わないかのうちに、僕はまた一人になっていた。

 封筒は厚く、硬くて、いかにも不動産か、銀行関係の書類が入っていそうだった。何であれ、ロンドンに着いてからいくらでも解読の時間はある。だが待ち切れずに端をすこし引き出してみると、それはどうやら赤い表紙のスケッチブックだった。とっさにドイツ人に騙されたのだと思って振り返ったが、列が進んで、もう僕の順番が来てしまっていた。

 逞しい審査官はずいぶん長いことパスポートをためつすがめつしてから、写真の下に並んでいる小さな活字を指して、体躯に似合わない女らしい声で詰問した。何度も繰り返すので、そのうち意味がわかった。

 「これ、東京で作ったの? 本物? 東京でパスポートが発行できるの?」

 僕のパスポートは、郊外の空港の職員には想像もつかない代物らしい。

 「そうです。東京の人間ですから」

 さっさとすませようとぶっきらぼうに答えたものの、待合室に入るか入らないかのうちに、飛行機の離陸が迫っていることを知らせる声が響いた。二度目の告知は英語で、なんとも親しげに耳に滑り込んできた。まわりを見渡せば、搭乗者のほとんどはイギリス人だった。もう僕はスペインを去っていたのだ。

 狭苦しい飛行機が離陸して、肉体のほうも一足遅れでスペインを発った。僕はようやく封筒を取り出した。その中身が、厚紙の表紙に挟まれた権利書である希望を僕はまだ捨てていなかった。だがやはり、それはどう見てもスケッチブックだった。

 もう返品もきかないので、表紙をめくるしかなかった。そこに並んでいたのは執拗な出納の記録だった。といっても出てゆくほうばかりだった。そして、一覧には日本人の名前もいくつかあるのに、もちろんそこに母の名前はなかった。要するに僕の手に入れたこの最後の遺産は、父が借金を踏み倒せるだけ踏み倒して死んだという証拠だったのだ。

 そのままスケッチブックを閉じて、座席のポケットに置き去りにしてゆこう。そう決めてはみたものの、まだ何かありはしないかと、たくさん残っている頁をめくっていった。秘密の銀行口座、金庫の組み合わせ番号、弁護士の連絡先。それとも謝罪の言葉か愛の言葉でもいい。だは頁はどれも白かった。子供のとき、やたらとスケッチブックを欲しがるくせに何枚か描いただけでほったらかしてしまうので、父に怒鳴られたことがあったのを僕は思い出した。結局、それも父から受け継いだ性質だったのだ。

 ところが、最後の頁にそれはあった。先ほどまでの正確な文字とは打って変わって、すっかり殴り書きになっていて、ほとんど意味をなさなかった。

 これは詩だ、と僕は直感した。唯一の父の詩。

 スケッチブックにのしかかるようにして、角度を変え、向きを変え、なんとか言葉を拾ってみようとした。すると各行のおしまい近くに必ず、同じ単語が置かれていることがわかった。僕は比較的きれいに書かれている一つに焦点を絞った。そして読み取った。―c、o、l、l、o、n、s―。

 「コリョンズ!」

 これはいったい詩なのか。愚痴なのか、呪詛なのか、あるいは人生賛歌なのか。陰嚢の唄、ふぐり行進曲、金玉音頭。そんな題名がつぎつぎに浮かんでは消え、僕はたまらず笑い声をあげた。そして哄笑の言訳をするように、改めてその言葉を口にした。

 「コリョンズ!」

 僕は視線を感じた。隣の席にいるイギリス人らしい男が、好奇の眼差しを僕に向けている。このスペイン人は何を笑っているのだろう、と思っているに違いない。なにしろ僕の笑い声と来たら、父にそっくりなのだ。

 いや、声だけではない。視線から逃れるように窓のほうを向くと、眩暈のするような太陽に目を細めている父そっくりの顔がそこには映っていたのだ。僕は間もなく肥りだし、禿げさえするかもしれない。ロンドンに戻ってもし恋人と連絡がついたら、借金を申し込むのはどうだろうか。

 自分の将来の姿を想像しているのか、それとも記憶にある父の最後の姿を思い出しているのかわからなくなって、おさまりかけた笑いがまたしても波立ちはじめた。肉体が揺れ、窓が共鳴した。その窓の外には見分けのつかない海と空がただ広がっているだけだった。

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エル・ポアル_10_02

(第10回 完)

 

 

 

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