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『切れ端に書く』(第06回)

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切れ端に書く_No.006_cover_01僕は書く、ひたすら書き続ける、小説ではなく物語を、仕事や国、言語や学校と呼ばれる大きな街の外で。「旅費もパンも持たないヒッチハイカー」のように、圧倒的で絶対的な文章を追い求めて。そして「完成図の予想できないジグソーパズルの切れ端が物語のテーブルに敷き詰められて」ゆく・・・。新しいタイプのモノカキ、小松剛生よる鮮烈な辻原登奨励小説賞受賞作!。

by 小松剛生

 

 

 

 

 ぱたんぱたん。

 知らないことがたくさんあった。

 ぱたんぱたん、ぱたんぱたん。

 しつこいくらい僕を夢から覚めさせようとしていた。

 タチの悪い「知らないこと」だ。

 ぱたん、ぱたん、ぱたん、ぱたん。

 そこで僕は目が覚めた。

 誰かがドアをノックしている。

 ――寝坊したかな。

 慌ててドアを開けると、昨日の針のような男ではなく女の子が立っていた。太ってはいなかったからここの住人だろうか、それにしてはずいぶんと筋肉質な、がっちりとした身体つきをしていた。

 こんな身体で本当にあの細い路地を抜けることができたのだろうか。

 「迎えのひと?」

 女の子が首を傾げた。

 どうやら違ったらしい。

 「あなた昨日来たばかりでしょ」

 「そうだけど、なんでそのことを知ってるの?」

 女の子は僕の質問に答える前に「あなた目やに(・・・)がひどいわ。今起きたばかりなんでしょ、とにかく顔を洗ってきなさいよ」と顔をしかめた。

 その言葉を無視して、迎えまであとどれくらいだろうかと考えてからある事実に気がついた。

 その部屋には時計がなかった。

 

 

 浴室にある備品はシャワーカーテンからスリッパ、石鹸など何もかもが新しくて都心部のホテルのようだった。

 昔、家族で引越しをした際に手違いがあったのか手続きの問題か、前の家にも新しい住居にも丸一日入れなかったことがあった。

 仕方なく街中にあるホテルに泊まるという決断を下した父は気分がハイになっていたのか、ちょっと高めの部屋をフロントマンに指定した。

切れ端に書くNo.006_01

 時間も遅く、外で食べるにしてもどこもかしこも閉まっている。

 両親は子どもを酒の飲める店に連れていこうとする発想には毛嫌いする性質の持ち主だった。

 ホテル内の洋食レストランに滑り込んだ僕たちは前菜のパンをもそもそと食べながら、テーブルの上に頼んでもないのに立てられたろうそくの炎をただ眺めていた。

 食事を終えて部屋に戻る。

 言うまでもなく誰もが眠る気にはなれなかった。

 部屋の照明はろうそくと同じ色をして光っていた。

 テレビを点けると『ネバー・エンディングストーリー2』が放映されていた。

 「あー懐かしいね」

 母親のそんなセリフを憶えている。

 僕はなんだか悔しくて知りもしないくせに一緒になって「あー懐かしいね」と言っていた。

 兄はそんな僕に冷たい視線を向けていた。

 まだ僕がアブだった頃の話で、でも深く静かな興奮がそこにはあった。

 そんなわけで浴室に入ったとき、僕は台風のように突然訪れた引越しの夜を思い出したのだ。

 

 

 顔を洗って居間に戻ると、さっきの女の子はキッチンにあったバターロールにバターを塗って食べていた。

 とても器用にペティナイフを使い、お行儀よく食卓テーブルに座っていた。

 ぎっちりと身の詰まった足をぶらぶらさせていた。

 「正論しか話せないような気が小さい人は嫌いよ」

 そう思わない? と彼女。

 「まあ確かに」

 「じゃああたしがここで朝食を済ませていることには触れないでね。朝のうちに脂肪分を摂っておかないとストレスがたまるの」

 なるほど、そうきたか。

 特に不快感はなかったし、襲いかかったとしても僕より広い肩幅をした彼女を見る限り、勝ち目はなさそうだった。

 「君もここの住人?」

 「そうよ。あなたのご想像通り、ここに住み込みで働いてる。あなたが昨日来たばかりということも知ってる」

 昨日?

 そう、昨日だ、僕は昨日ここに来た。

 「なんで知ってるのかって訊きたそうな顔してるから先に答えておくけど、あなたがあの男に連れられてこの部屋にはいるのを見たのよ。みんな最初はあの男に案内されるの」

 「君はもう長いの?」

 どうかしら、と最後のかけらを口に運ぶ。

 皿の上に散らばったバターロールの粉片まで丁寧にかき集めて口に流しこむ。

 「一年くらいかな、長くも短くもないわ。もっと長くやってる人はたくさんいるし、もっと短い人ももちろんいる」

 トイレ借りるわよ、と言って席を立った彼女が使っていた皿を流し場にて洗う。

 洗剤も新しいやつだった。

 豪快な水洗音がして、彼女が戻ってきた。

 「子どもの頃は走って登校してたタイプかな」

 「少し違うわ、全速力で走って登校してました」

 さて、と彼女はコットンパンツのポケットから腕時計を取り出した。

 「そろそろ仕事の時間だから行くわ。たぶんあなたにももうすぐ迎えの人が来るでしょ」

 彼女はそう言って台風のように去っていった。

 「あ」

 僕は肝心なことを訊き忘れていた。

 彼女は一体ここに何しに来たんだ?

 

 

 迎えに来たのは昨日とは違う男だった。

 やはり身体はかなり細い。

 僕にひとつの腕時計を渡してきた。

 彼女がもっていたやつと同じものだ。

 「これはイーライ・テリー式の腕時計でございます。ここでの生活はすべてこの時間を基準にしていただきます」

 渡された時計は9時を指していた。

 「ずいぶん古いやつだね」

 「その昔アメリカはフォード社の方式にのっとって、初めて大量生産された腕時計にございます。水力を動力としたクロック工場では年間200個もの腕時計がつくられていました。腕利きの職人が年間5個程度しか作れなかった当時にしてみればとてつもない数字です」

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 男は僕を案内しながら腕時計について話し始めた。

 何かそういったマニュアルでもあるのだろうか。

 案内する人間を退屈させないようにするための教えが書かれてたりするのだろうか。

 男の話は淀みなく流れた。

 「しかしながらイーライ・テリー氏は営業に長けた人ではありませんでした。画期的なことをやっていたにもかかわらず時計は売れずに残り、後のアーロン・デニーソン氏が開発した1ドル時計に取って替わられました。そこに目をつけたのが私どもの先代の社長でございます。これらを安く買いとり、今ではこのように従業員の生活に役立てられているというわけです」

 「歴史があるんだね」

 「歴史はどこにでもございます」

 ――歴史はどこにでもある。

 今までつくられてきた時計の数ほどあるとしたら、僕のそばではいつも歴史がカチカチと音を立てて語られてきたことになる。

 渡された腕時計をはめてみる。

 「こちらがアジ様の仕事場にございます」

 イーライ・テリー。

 僕はその言葉もコルクボードに留めておくことにした。

 

 

 案内された先にあったのはオフィスでも食堂でもなく、カタモトと名乗る人物の元だった。

 「でも本当はカタモトじゃないんだ」

 目尻に深く刻まれたしわから、その人物がそれなりの経験を生きてきたことがわかるが男なのか女なのかはわからない、中性的な顔立ちをしていた。

 会ってそうそう、B5タイプのノートを手渡してきたカタモト氏は言った。

 「タカモトっていうんだけど、私はしょっちゅう片方の靴下をなくしてしまうんだ。それで私は『カタホウの靴下を無くすタカモトさん』と呼ばれていた。あるとき、それがもう嫌になってね、家にあったすべての靴下を一緒くた(・・・・)にして混ぜてみたんだ。野菜炒めをつくるときのようにね」

 フライパンを振る真似をしてみせるカタモト氏。

 「その日の晩はとてもスリリングだったよ。だってそうだろう? もう洗濯カゴの中を探しまわらずに済むんだもの。それからは互い違いの靴下を履くことになっても気にならなくなった。私は『カタホウの靴下を無くすタカモトさん』ではなくなった。もしかしたら今でも無くし続けているかもしれないけど、そんなことは知ったこっちゃない」

 ――靴下を無くそうが互い違いに履こうが、今日も世界は廻っているんだ。

 カタモト氏はそう言って白髪混じりの髪の毛をかきあげてみせた。

 僕はその話に耳を傾けているうちに、カタモト氏が男か女かなんてどうでもいいような気分になっていた。

 それでも世界は廻っているのだから。

 「そうやって『カタホウのタカモトさん』と皆は呼ぶようになり、やがてカタモトさんと略されるようになったってわけ」

 カタモト氏の腕には僕やあの女の子と同じようにイーライ・テリー式の腕時計が巻かれていた。

 かちかち。

(第06回 了)

 

 

* 『切れ端に書く』は毎月13日に更新されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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