子供の頃、帰国しようとしない父親の身代わりのように母親といっしょに夏を過ごしたスペインの田舎町、エル・ポアル。けだるいシエスタの、まどろみに包まれたような父親の故郷。僕はエル・ポアルに、父の、そして自分のものでもある故郷に惹き付けられ、十三年の時を隔ててそこを再び訪れる・・・。日本文学研究者であり、詩人、批評家でもある大野露井の辻原登奨励小説賞受賞作!。
by 大野露井
僕はもう休みたかったが、カルメンはまたすぐに出かけると言った。それはまさか、十三年ぶりに訪れた甥をできるだけたくさんの人に会わせたいというカルメンの親切ではないだろう。それよりも、僕が暇を持て余さないようなるべく連れ出すようにという祖母の配慮だと考えた方が納得がゆく。もしそうなら、僕はすでにしていた退屈をなかったことにして、楽しそうに出かけることにしよう。だが確認する術はなかった。それにもしそんな術があったら、つまり僕が祖母に期待されているように流暢にスペイン語を(もっと言えばカタルーニャ語を)話すことができたら、今度はカルメンのほうが積極的に僕を連れ出そうとしたことは間違いない。カルメンには聞かれたくない話がごまんとあるだろうから、僕と祖母を二人っきりにしておくことはできないはずだ。とくに、未だにおくびにも出さない遺産のことに関しては。
カルメンとハイメと僕は、今度は徒歩で、庁舎まえの広場へ行った。この町で唯一ネクタイをした人々がいる庁舎のまわりは、この町で唯一、権力者が漫歩するにふさわしい佇まいだった。頑丈な石造りの建物が凹凸のない石畳のうえに鎮座し、もはや陽が沈みかけているのでいっそう滑稽な姿になった怪物の石像を乗せた噴水もあった。疲れていたので近づく気にもならなかったが、庁舎の正門の脇には小さな石塔が地面から突き出していた。それはおそらく、このような辺境にあるモデルサも確かに王と議会の同意のうえでその機能を果たしているのだということを証明するための塔であり、その意味ではこの鱗翅目のような小さな町にも、泡汗をかいた巨大な奇蹄目にまたがった本物のテンプル騎士団員や神聖ローマ皇帝の足下に身を投げ出す用意があるのだ。だが僕はエル・ポアルの石柱を思い出していたので、神の使いたちのことはどうでもよかった。ただ、いまのように疲れていたら、大きくなった体でもあの石柱には登れないだろう。
そのとき近くの建物から一団が通りへ出て、群のなかの数人がカルメンに声をかけた。エル・ポアルほどではないにしろ、この町の住人もそれぞれに顔が広かったから、歩いていればそれだけで「やあ」を連発しなければならない。「やあ」はこの地方では「デーウ」と言う。スペイン語のアディオスに対するカタルーニャ語のアデウであり、さらにその口語体が「デウ」である。直訳すれば「さようなら」になってしまうが、この言葉には「やあこんにちは、調子はどうだい、じゃあまたあとで」がすべて含まれているので、通り過ぎざまに「デーウ」と言えば他の言葉はいらなかった。カタルーニャ人たちは馬上槍試合に臨む戦士というよりも、飛べない大型の鳥のような悠長さで、肩と肩が触れ合うくらいの頃合で「デーウ」と声を発する。アダンさんのように自転車に乗っているなら、軽やかに「デーウ」を風に浮べて、そのまま何事もなかったかのように通り過ぎてゆく。
しかし群の最後の一人とカルメンのあいだには「デーウ」のやりとりだけでなく、きちんとした会話が幕を開けた。
「これが彼なの?」
眼鏡をかけた温和そうな中年女性は、どうやら僕のことを言っているらしい。
「そうよ、兄の息子よ」
「こんにちは」
それはあからさまに僕に向けられていたので、僕は挨拶を返した。
「いま終わったの?」
「そうよ」
カルメンが尋ね、相手が答えた。彼女は英語学校の教師で、授業を終えたところなのだ。
「見所のある生徒はいる?」
「そうでもないわね。あなたみたいに特別な人はいないわ」
カルメンはこの答えを予測していたらしく、自尊心をくすぐられた顔をした。確かにカルメンはエル・ポアルやモデルサでは突出した英語の使い手であり、製薬会社の秘書という地位も、英語の能力によって勝ち取られたものだった。しかしそれは国内での片手間の学習と、若い頃の一年間の英国留学に支えられたものに過ぎなかったので、都会の風に吹かれればすぐに崩れるような屋台骨とも言えた。少なくともカルメンの英語は、およそほかのすべての教養と同様、父の向うを張れるような代物ではなかった。
ところでハイメは数歩離れたところで、一人の同年代の女の子と向き合っていた。白金の(染めた)髪を束ねた、小柄で丸ぽちゃな可愛らしい女の子で、ハイメは明らかに彼女に好意を寄せているようだった。
「その子もカルメンっていうのよ」
僕の視線に気づいたカルメンが口を挟んだ。ああ、第四のカルメン! カルメンとその前夫が株を落したカルメル修道会も、この乙女の祈りを聞けばすこしは機嫌を直すかもしれない。
「すごくよくできる子なのよ」と英語の先生が補足した。
「へえ、それはすごい」と僕は胡散臭い返事をした。
「ハイメよりできるわね。ハイメのお気に入りよ」とハイメの母親がつけたした。
「そうですか。じゃあハイメもがんばらないと」とまた胡散臭い返事をする。
だがそれもそうだろう。「すごくよくできる」少女の実力がハイメ以下ではお話にならない。しかしカルメンの発言のアクセントは後半に置かれていた。ハイメがカルメンを気に入っていることはその目つきからして間違いないが、それよりもカルメンがカルメンを気に入っているのだ。自分と同じ名で、同じように英語の得意な娘なら、この世でただ一人自分の庇護下にある息子の嫁にもらってもよいと思っているのかもしれない。
「それにしてもあなたって、顔を動かして話しているときはエル・ポアルの顔になるのね。静かにしているとちょっとわからないけど」
いささか唐突に、英語教師は僕に向かって眼鏡の奥から観察の成果を述べた。カルメンと同じ歯並びをしているのだし、もちろん実の父親にも似ているのだから、僕がエル・ポアルの顔をしていることは不思議ではない。それでも英語教師が西洋とも言わず、スペインとも言わず、カタルーニャとも言わず、エル・ポアルに限定したことは興味深かった。エル・ポアルの血は、いったい何度の結婚で強化されているのだろうか? そしてまた、静止している僕の顔がエル・ポアルの顔でなくなるのはなぜだろうか? おそらくそれは西洋の顔ですらなくなるのだろう。躍動は僕の顔に西洋を、静謐は僕の顔に東洋を呼び寄せる。
「これからテストなの」
可愛いカルメンはハイメと同時に僕にも言った。せっかく話を始めたのに、可愛くないほうのカルメンの恋人であるホアンがもうそこまで来ていたので、僕たちは別れなければならなかった。
「上手く行くといいね」
僕は少女があまり聞く機会のない正しい英語で答えた。
「ありがとう」
カルメンは仲間に合流するために小走りになった。僕はモデルサの町にも育ちのよい子供がいることを知った。団地の駐車場にいた子供たちと違って、刃物を隠し持っているようなこともないだろう。念のため、僕は後ろ姿に注意してみた。灰色のジーンズのポケットはどうやら空っぽで、その奥には猫のように丸まったお尻がおさまっているだけだった。僕はまた情事について考えていた。あるいはもう一日半も煙草を喫わずにいるせいかもしれない。
それからホアンを交えての夕食になったが、特筆すべきことは何もなかった。ホアンは青いジーンズと革のジャケットで現れた。背丈は僕と同じくらいだが、スペイン人らしく僕よりも肉厚だった。頭は五分刈りで、四十代の白人男性にしては幸運にも、ほとんど生え際が後退していなかった。どんぐり眼の屈託のない表情は、よく言えば人懐っこく、悪く言えば阿呆じみていた。見た目から言えば、同じように知性が感じられないにしても、あのカルメロのほうがまだしも魅力的だった。カルメロのせいで、僕はカルメンが身の程知らずにも面食いなのだと思っていたから、ホアンが広場に登場したときは多少の驚きを禁じ得なかったほどだ。しかしホアンは、何とか僕と意思を通わせることができるだけの英語を話した。もしかするとカルメンも十三年のあいだに成長し、人間を外面よりも内面で判断するようになったのかもしれない。
それでも僕がホアンの顔に知性の欠如を認めたのは過失ではなかった。小さな食堂でピザを食べながら彼がした最初の質問は、「日本には中国人がたくさんいるの?」だった。
「それはいますよ。でもスペインにもいるでしょう。中国人は世界中にいますから」
「そんなものかな。おれはロシアの女がいちばん好きだね。最近はたくさん働きに来ているからね。なあハイメ、ロシアの女の子はいいよな」
ハイメは必要以上に愉快そうな仕種をして、ホアンを父親のように信頼していることを表現した。カルメンもまた、恋人と息子をまえに「困った男の子たちだこと」というような表情を浮かべ、この小さな家族の母親としての自己像に満足している様子だった。
コーヒーを飲みながら、ホアンは二つ目の質問をした。
「君は日本の友達にはなんて呼ばれてるの?」
僕は自分の片仮名の名前を、日本語で発音してみせた。
「でもそれは君の名前じゃないじゃないか!」
ほとんど激昂した様子で、ホアンは不愉快そうに言った。その発音は本来のカタルーニャ式の発音よりも、スペイン式の発音にはるかに近かったからだ。
「日本語の発音は子音では終わらないから、他に言いようがないんですよ」
僕は説明を試みたが、外国語における母音と子音の関係はホアンの理解を越えていた。彼のような人間にとっては、理解できないことはすなわち理解する必要のないことであり、すべからく悪でなければならない。ましてや気高きカタルーニャ語をスペイン語に似たものに堕落させてしまう言語とあらば、日本語はホアンの頭のなかで悪魔の言語ということに決まってしまったのかもしれない。
いずれにせよ、ホアンの違和感は見当違いも甚だしいものだった。いま聞かせた片仮名で発音される名前、スペイン式どころか日本式の、外来語の名前、それこそが僕の名前だった。二十年以上も生きてきて、どうしていまさらスペイン風に舌を巻いたり、カタルーニャ風に上顎に舌を吸いつかせる必要があるのだろうか。僕の通帳にも、住民票にも、学生証にも、はっきりと片仮名が並んでいた。皆が僕をその文字列で呼ぶ。あるいはその文字列を崩して、愛称で呼ぶ。父でさえ、僕をそう呼んだ。なるほど、パスポートには、僕の名前はアルファベットで綴られていた。だがパスポートは対外的な証明書でしかない。だから僕はホアンに対してはそれをカタルーニャ語式に発音したが、英語で話すときは当然のように英語式に発音していたし、フランスに旅行すればフランス語式に名乗ることも厭わなかった。いつでも通称を使っているようなものだ。僕は相手に合わせて文字通りのリップ・サービスをして、何のこだわりもなく舌や唇の形を変える。
ウェイトレスが伝票を置き、無言で立ち去った。
「おやおや、もう帰れってことかな」ホアンはまたしても不服そうに言ったが、機嫌を損ねているわけではなかった。そして好奇心だけは人一倍であることを立証しようと、三つ目の質問をした。「日本でもレストランはこんなかい?」
「そうでもありませんよ。長居を嫌がっても、それを口に出すようなことはまずありませんね。日本の商人の世界には、お客様は神様という考え方がありますから」
「え?」
「神様ですよ。か、み、さ、ま」
僕はまたしても、ホアンの限界をふみにじってしまったようだ。唯一の神に仕えるよう育てられた彼にとって、店を訪れる客のひとりひとりに対して神の名を濫用するような思想は正気の沙汰ではなかった。そしてそれ以上に、たかが客をそこまで大切にすることの必要性が彼には理解できなかったのだ。来たくなければ来なければいいのだから、どうしてやたらと頭を下げる必要があるだろうか。
このように僕たちの会話は間歇的で、何の実りもなかった。駐車場までの道すがら、ホアンとハイメはじゃれ合いをはじめ、おたがいの足を踏もうとしたり、ひっかけて転がそうとしたりした。「ほらほら、いい加減にしなさいよ」と母親役のカルメンが、小芝居風にたしなめる。僕には介入の余地はなく、意志はなおさらなかった。僕は早くアパートへ帰って、ロンドンにいる恋人に電話をかけることだけを考えていた。
次の朝、僕はまたしても冷たいコーヒーとマドレーヌを食べ、すこしだけ記憶の甦りを待ち、諦め、昨日たっぷり金髪のマリアや義妹と過ごして若干元気になったらしい祖母と、緩慢で、とても会話とは呼べない小声のやりとりをした。取り出せる意味はごくわずかで、鳴き交わす動物のような具合だった。しばらくするとカルメンが仕事から戻り、銀行へ行って来たのだと言って僕に封筒を渡した。
「これはお祖母ちゃんからよ。お祖父ちゃんやパパの遺産だと思って受け取りなさい」
封筒のなかには三千ユーロ入っていた。
「ありがとう」
僕は祖母にわかりやすいようスペイン語で言った。
「近いうちに四千ユーロほどを送金したいから、口座番号を書いておいて」
とカルメンは続けて言った。
受取った分と送金予定の金額を合わせると、だいたい百万円くらいになる。それは僕には大金には違いなかったが、「遺産」と聞いて思い浮べる額よりは控えめだった。だが冷静に考えてみれば、畑を耕し、肥料を売り、兎を飼った祖父と、貿易商として一時期それなりの成功を収め、やがて無惨に敗走した父が残した財産としては、見事に妥当な金額であるようにも思えた。
しかしこの程度の金額であれば、一部を現金で渡すことなどせずに、最初から送金してくれればすむことだ。それを、言ってみれば遺産を餌に僕をロンドンから呼び寄せたということは、つまりそうでもしなければ僕がスペインに足を向けないと思ったのだろう。それはあまりに不名誉だったが、悲しいことに、真っ向からそれを否定する自信もなかった。僕は自分がカルメンに負けないくらい冷酷で吝嗇であることを認めるべきなのだろうか。
いや、カルメンはまだ出し惜しみをしているかもしれない。僻村とはいえ、家屋敷と田畑を相続する権利が僕にもあるのなら、それを放棄する見返りとして百万円はあまりにも少なくはないだろうか。もしかすると祖母はそこのところも含めて僕に説明したいと望んでいるのに、カルメンが巧みにそれを阻んでいるのではないか。あわよくば僕が百万円に満足して去り、もう二度と連絡を取り合わなくなることを期待しているのではないか。百万円は、僕の当面の生活費と、もし勉強を続けることになれば、学費の一部にはなる。だが母にはいったい何の足しになるだろう。父のために家財を差し押さえられる屈辱を味わい、離婚の条件として慰謝料をもらうどころか借金の大部分を肩代わりする羽目になり、後半生の生活費の全体にも等しいその額を返済するために実家に助けを乞い、結果として両親や兄から「しがらみ」の烙印を捺された母。エル・ポアルの家族もそのことは察しているはずだ。
僕はすぐにでも問い質そうと思ったが、カルメンはすでに誰かと電話をはじめており、通話を終えると何かごにょごにょと言い残して階下へ降りていってしまった。僕は寝室へゆき、虎の子の三千ユーロを鞄にしまい込んだ。そして残りの四千ユーロをもらい損ねることがないように、海外からの送金に必要な複雑な数列を、手帳から紙切れに書き写した。
居間へ戻ると、カルメンも戻ってきていた。だが話を切り出すことはできなかった。ラウラが一緒にいたからだ。
ラウラはこの十三年で、少なからず母親のロサ叔母さんに歩み寄っていた。何度か日本に届いた写真の中でのように、彼女はぶすっと眉を顰めているわけでも、思春期の到来とともに襲いかかった脂肪の下で息を殺しているわけでもなかった。それにしても大きな変化だ。もちろんラウラは父親のパブロ叔父さんにも似ていて、つまり僕の父にも似ており、親戚であることが容易に納得できる顔立ちをしていた。だが写真で見たあの脂肪の膜は脱ぎ捨てられたワンピースのように消え去り、その脱皮に伴ってくるくる巻いた髪は胸の下まで伸びていた。耳、小鼻、襟ぐり、何本かの指、手首、そして腰に銀色の装飾品を身につけたラウラは、十三年ぶりに従兄に会っていくらか恥ずかしそうだった。
「握手する? それとも抱き締める?」
ラウラは叔母を介して尋ねた。僕はすぐに大股で従妹をつかまえにゆき、まるで日本人の女の子のように細い腰を抱いて頬をつけた。
僕は念のためにハイメから英=カタルーニャ辞典を借りて家を出た。下ではパブロ叔父さんが待っていた。兄と妹から代わる代わる馬鹿にされた反動で兄より頭一つ大きく育った叔父は、十三年のあいだに見事な太鼓腹を育て上げていた。しかしそのお腹は人並以上に厚い筋肉の層で吊るされていて、だらしなく垂れ下がっているようなことはなかった。ましてあの人なつこい笑顔と、ずいぶん白くなってしまったが頭上にこんもり盛り上がった髪の毛は健在なのだから、何のことはない、白髪の相撲取りだと思えばよいのだ。
叔父は忙しくギアを前後させながら、この県の中心都市であるレイダを目指した。前の車に追突する寸前にブレーキが一つ叫んで停まる度に、窓の外は都会的になっていった。
「いまは何をしているの?」
叔父が大声で尋ねた。誤解しないでいただきたいが、叔父の話し方はこの国の、この地方の男としては充分に大人しいものだった。ただ僕の基準ではそれでも大声なのだ。
「今度の春から修士をやろうかと思っています」
反対に僕がそう答えた声は、蚊の鳴くような声、あるいは妙に気取った性倒錯者のような声と言われても仕方がなく、「そうか、修士か!」と叔父が念を押す必要を認めたのも無理からぬことだった。
「専門は?」
「文学です」
専門というからにはただ「文学」というよりも細かいものを研究する予定だったが、「パブロは本を読まなかった」という祖母の証言もあり、辞典を繰ってまで説明する気にはなれなかった。そして車はそこで完全に停まり、叔父は何かを取ってくるというようなことを言い置いていなくなってしまったので、説明の必要もなくなった。僕はラウラと車のなかに取り残された。ミラーのなかで、それまで叔父と僕が旧交を温めているのを大人しく見ていたラウラと目が合った。
「いまいくつ?」
「二十三」
「私は二十歳」
「そう」
そんなやりとりをして今度は直に目を合わせると、僕たちはどちらからともなく微笑んだ。
「私、車って嫌い。がくがく揺れるんだもの」
それは明らかに叔父をはじめとする南欧人の荒々しい運転に起因しているのであって、揺れない車がたくさん走っている国からやって来た人間としては、異を唱えることもできただろう。しかし僕は黙っていた。
「バイクのほうが好きだわ。息苦しくないし」
ラウラは付け足した。僕は若いカタルーニャ人の運転するバイクは、さぞかし危険に違いないと思った。だからといって「あまり乗らない方がいいよ」などと野暮なことは言えない。十三年前まで、僕は何となくラウラが苦手だった。遠くから見ているくらいでちょうどいいように考えていた。ところが三十分前の再会と同時に、僕の気持はすっかり変わっていた。せっかく可愛い従妹に出会えたのだから、なるべく話のわかる従兄でいようと思った。
叔父が戻って来た。車は再び動き出し、すぐに小さな洋服店に着いた。ここがパブロ叔父さんとロサ叔母さんが経営するブティックで、もう中等教育を終えているラウラの勤め先でもあるのだ。店は決して広くはないが狭くもなく、婦人向けの肩肘の張らない衣装を取り揃えていた。試着室も二つあり、立派な構えと言ってよかった。あとは客さえ入れば、何も怖れることはない。僕とラウラは、昼休みまでここで店番をするのだ。
「今日はパパが家でパエリアを作ってくれるの。世界一おいしいのよ」
このようにラウラは客入りよりもパエリアのことで頭がいっぱいだった。父親を愛していて、その手料理を想像しただけで唾液を分泌することができるのだから、ラウラは幸福に違いない。
「ねえ、煙草喫わない?」
すこしばかり落着きのないラウラは、もう次の発言に移っていた。気づいたときには言い終えていたので、僕は過ぎ去った数秒間が記憶の世界に入るまえに糸を手繰り、その言葉がもういちど耳元を通り過ぎるように誘導しなければならなかった。そしていざ内容を理解すると、僕はできることならゆっくりとその言葉を噛みしめ、それこそ煙草のように火をつけて胸の奥まで余韻を届けてやりたかった。
店の軒先で煙草に火を点じて、ようやく深く吸い込んだ煙をゆるやかに吐き出すと、僕はまるで自分がこの地方都市で生活する人間、叔父夫婦と従妹とともにブティックを経営する青年のように思えて来た。煙はときおりラウラの巻き髪にたゆたい、昇天する前にもう一度だけ庇のところで道草を食った。
「ママと心配してたんだけど、おばあちゃんにお金もらった?」
「さっきもらったよ。三千ユーロ」
「三千! よかったわ。だってもらうべきお金だもの。あの悪魔に出し抜かれちゃだめよ」
悪魔が誰を指すのかを理解するには二秒とかからなかった。あと二分もしたら、僕のほうからその言葉を使っていたかもしれない。合計で七千ユーロもらう予定であることを咄嗟に白状しなかったのは、それがスペインの地方都市で暮らすラウラにはかなりの金額であると感じたからだ。それにラウラは、まだ遺産の回収について相談にするには若すぎた。つまり僕にも、悪魔のように小狡い一面があるのだろう。だが僕は表情を変えなかった。
「昨日は悪魔の恋人にも会ったよ」
「ホアン? あいつ、ひどい馬鹿よ」
「日本にはたくさん中国人がいるのか、って訊いたよ」
「ほらね、ひどい馬鹿!」
確かに、僕はすぐにラウラの言葉を呑み込み、返す刀で自分の言葉を吐き出していたわけではない。どちらかと言えば、僕は夢のなかで体の自由がきかなくなるときのように、咽喉のあたりを震わせながら、つっかえつっかえ話していたのだ。それでもラウラはせっかちな気性を自制してゆっくりと話したので、僕も頭のなかでいろいろと言語的な計算をする時間を稼ぐことができた。そして「悪魔」の一言は―一瞬、僕自身をぎょっとさせはしたものの―すっかり僕たちを意気投合させてくれた。
僕と母のなかで、カルメンの人格に対する不快感はスペインへの拒絶反応にまで膨んでいた。父もまた妹を罵った。父は嘘をついていたのかもしれなかった。父本人が妹を憎んでいただけで、カルメンが親戚一同の鼻つまみ者だとまで言ったのは誇張ではないか。カルメンだけが僕たちに英語で話しかけられたのと同じように、父だけが日本語で僕たちに話しかけることができた。嘘をつくのは鼻の穴に指先を突っ込むよりも簡単なことだった。祖父はもう衰えていてし、離れて暮していたから、ベルトを恐れる必要もない。
だがどうやら、父は嘘つきではなかった。確かに父は傲慢で、世間の成功者たちへの嫉妬から来る憤怒をふりまわし、労働に対しては怠惰で、商売に関しては欲深く、後半生を通じて暴食をくりかえし、ときに暴力をふるい、色欲も人並に持ち合わせていた。キリスト教への信仰はとっくに捨てたと公言していた父がこれらの罪のために地獄へ堕ちたかどうかはわからないが、少なくとも父は僕の愛を勝ち取ることはできず、自分の葬列に加わる息子、自分の屍の上に涙をこぼす息子という図を見ることができなかった。それでも僕はいまになって、父が嘘つきでないことを発見して、悪い気はしなかった。しかもその発見をもたらしてくれたのは、凶暴な小型犬から愛らしい女性へと姿を変えたラウラなのだ。もしこれこそが旅の成果であるなら、叔母にはむしろ悪魔でいてほしかった。
店には、客らしい客はほどんど来なかった。僕たちは頓着せずに気楽な四方山話をした。ラウラは僕が近視であることを知り、僕はラウラの好きな曲を知った。
「僕の恋人もその曲が大好きだよ」
「彼女の写真ないの?」
僕は身につけていたものを見せた。
「すごくきれいな人ね」
僕も同意見だった。しかしここへ来てからというもの、恋人は一度も電話に出てくれないのだ。僕は表情をつくろった。
「ありがとう。君はいないの?」
「こないだ別れたの。二年くらい続いてたけど。だってセックスのことしか考えてないんだもの」
僕の目はラウラの頼りないほど細い腰に漂いついた。ラウラはまだ二十歳だ。間もなくこの腰は熟し、もっと安心感を与えるものになるだろう。
(第7回 了)
* 『故郷-エル・ポアル-』は来月から毎月06日に更新されます。