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Clik here to view.僕は書く、ひたすら書き続ける、小説ではなく物語を、仕事や国、言語や学校と呼ばれる大きな街の外で。「旅費もパンも持たないヒッチハイカー」のように、圧倒的で絶対的な文章を追い求めて。そして「完成図の予想できないジグソーパズルの切れ端が物語のテーブルに敷き詰められて」ゆく・・・。新しいタイプのモノカキ、小松剛生よる鮮烈な辻原登奨励小説賞受賞作!。
by 小松剛生
「あれ、仕事は」
「いろいろあったんだ」
部屋に戻ってきた僕に向かって、君は真っ先に一番訊かれたくないことを訊いてきた。
「どうせすぐに逃げてきたんでしょ」
その通り。
「嫌なことや退屈なことからはすぐに逃げてくるんだから」
それも正解。
「少しは我慢することも覚えないと」
その通り。
けれどいったい僕はなんて説明すればいいのか。
ニッケルに紹介された仕事を受け入れたのは傘を買いたいからであり。
ついでに「みずむらさき」を探してくるよう頼まれて。
針のような細身の男に案内されて細い路地を通りぬけ。
知らぬ間に採用試験をパスして。
マンションに似ているけれどなんといっていいかわからない、けれど古くはない建物で部屋をあてがわれ。
いつの間にか寝てしまい。
ノックの音に起こされて開けたドアから肉感的な魅力を携えた女の子が入ってきて。
彼女が脂肪分を摂取しているところを眺め。
針ではないけどやっぱり細身の男に案内されて仕事に出向き。
その間に女の子もつけていたイーライ・テリー式の腕時計を渡され。
歴史はどこにでもあって。
自らをカタモトと名乗る本来はタカモトなはずの氏に仕事を教わり。
その仕事内容とは前の採用試験に使われているような細い路地をひたすら確認していく作業で。
仕事を終えて再び部屋へ行くと先の肉感的な女の子が企てた逃亡に乗って来た路を戻り。
実はその女の子が探していた「みずむらさき」だとわかり。
ニッケルに預けることになる腕時計をそのときにみずむらさきから受け取って。
僕はここまで戻ってきた。
それらは真実かもしれないけれど、君にとっての事実は今僕が手にしている封筒だけだった。
事実はいつだって封筒に隠されている。
けど、全てを語るには足りなさすぎる。
――正論しか話せないような気が小さい人は嫌いよ。
水村早希の言葉が頭に浮かべながら、僕は返事の代わりに君にその封筒を渡した。
「なにこれ」
中には新品の一万円札が一枚、丁寧に折りたたまれていた。
アイロンをかける必要などどこにもないくらいにきちんと、丁寧に。
「いろいろ、あったんだ」
僕はもう一度言った。
「いくら話しても話し切れないほどのことだよ」
「そんなの当たり前じゃない」
誰だってそうなんだから、と君は流し場に立っていくつかの洗い物を済ませるべく蛇口をひねった。
雨よりも勢いのある水音が会話を停めた。
君と僕は行き先の違うバスのようにそれらを黙ってやり過ごす。
僕の待っているバスはいつまで経っても来ないし、いつか君も別のやつに乗ってどこかへ行ってしまうかもしれない。
「雨降ってる?」と君。
「わからない」
「そういえば今年カタツムリ見なかったなー」
僕もカタツムリを見ていない、というよりここ数年カタツムリに遭遇していないような気さえしてきた。
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もしかしたら、と僕は思う。
あののんびりとした足で僕のひまを奪って逃げているのかもしれない。
行方不明になったのは時間ではなくてカタツムリの方だったか。
それはもはやカタツムリとはよべない、ヒマツムリだ。
みんなのひまをその殻に背負って、僕たちの目に見えないところに隠れているのかもしれない。
みんなも気をつけたほうがいい。
梅雨の季節にカタツムリを見ないときは、ヒマツムリが僕たちの時間を奪って隠れてしまうのだ。
そうなればイーライ・テリー式の腕時計も形無しになり、歴史は語られなくなる。
水の音がして落ち着かない。
人が食器を洗う音を聴いているというのはバス停でただひとり、いつ来るかわからないバスを待ちながらどしゃ降りの雨に降られているようなものだ。
喉の渇きを覚えた僕は立ち上がって君と入れ違いに流し場の蛇口をひねり、水道水を透明のコップに入れて飲んだ。
とりあえず当面の生活費は手に入った。
おかげでここ何日かは乗り越えることができそうだ。
君は手に入れたばかりの一万円札を鼻息で吹き飛ばそうと遊んでいる。
バスの心配はまだしなくてもよさそうだ。
どこかでヒマツムリが時間を行方不明にしようと息を潜めている。
「気のせいだよ」と君が言う。
気のせいなんかじゃない。
僕はヒマツムリ、とメモに書くとコルクボードに留めた。
みずむらさきのことは貼らないことにした。
世の中には留めておくべきでないこともある。
*
スピードから手紙が来た。
長い長い手紙だった。
誰のためでもない文章を書くということは、ヒッチハイクすることに似ている。
旅費もパンも持たないヒッチハイカー。
特にこの場合は若者ではない男性を想像してもらえるとありがたい。
女であれば身体を運転手に差し出すという手段がないではないし、運転手が女性であったときに若い男なら喜ばれるかもしれない。
まあどうしてもというならば身体の輪郭が色っぽくて笑顔がチャーミング、なおかつ十代で世間を知らない女の子というヒッチハイカーを想像しても構わないが、残念ながら世の中というものはありとあらゆる運転手に恨みを抱いているはずなので、そんな都合の良い舞台があるはずがない。
つまり「何も差し出すものがない」人間がヒッチハイクをしなければならない状況を想像してほしい。
行き先はアラバマ、バイコヌール、北海道。
どこでもいい。
バックパックひとつ背負っている人間を気まぐれな良心とやらに突き動かされた運転手が彼を助ける。
ヒッチハイカーはお礼を言い、助手席に乗せてもらう。
助手席とは行っても、道は一本道で何を手伝う必要もない。
お互い見知らぬ他人だ。
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運転手が話好きなら助かる。
ヒッチハイカーはただハンドルを握っている人間の身内話にうなずいて、ときどき「全く、うまいこといかないもんだね」と、相槌のひとつも打っていればその場は丸くおさまる。
だが彼の言うとおり、世の中はうまいこといかないのだから、当然彼は何か話をしなくてはならなくなる。
それも自分の話ではいけない。
現代は他人の人生に耳を傾ける暇などないのだ。
政治の話はもっとまずい。
その皿には人をイライラさせる副作用効果がある。
かといって天気の話題を口にしても、それはすぐに尽きて時間ばかりがゆっくりと雲のように動かざるを得なくなる。
彼はそこである程度の人であれば理解できて、遠すぎず近すぎない話、それでいて退屈させないような内容のものを口にしなければいけない。
それが良いヒッチハイカーであることの条件だ。
文章を書くこともそれに似ていて、例えば手紙のように特定の誰かに書けるのであれば何でも構わないが、他人に向けて、それもいつ届くかわからないような代物を書くということはそういうことになる。
僕は世の中で(さっきからこの言葉がたくさん出てきてしまって申し訳ない)作家になりたい人がどれほどいるか知らないし、作家でいる人がどれほどいるかも知らないけれど、知っていることはひとつある。
良いヒッチハイカーなんて、片手で数えられるほどにしかいない。
(第09回 了)
* 『切れ端に書く』は毎月13日に更新されます。
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