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『切れ端に書く』(第11回)最終回

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切れ端に書く_No.011_cover_01僕は書く、ひたすら書き続ける、小説ではなく物語を、仕事や国、言語や学校と呼ばれる大きな街の外で。「旅費もパンも持たないヒッチハイカー」のように、圧倒的で絶対的な文章を追い求めて。そして「完成図の予想できないジグソーパズルの切れ端が物語のテーブルに敷き詰められて」ゆく・・・。新しいタイプのモノカキ、小松剛生よる鮮烈な辻原登奨励小説賞受賞作!。

by 小松剛生

 

 

 

 

 「着いたよ」

 運転手は路肩に止まって、ヒッチハイカーが車から降りるのを待っている。

 ヒッチハイカーは聞きたくてたまらない。

 「僕の話、どうでした?」

 「退屈じゃありませんでしたか?」

 「僕を乗せて後悔しませんでしたか?」

 その車はヒッチハイカーがお礼を言う暇も与えずにその場を走り去ってしまう。

 いや、去り際に

 「あんたの話は…」

 と声に出したのかもしれないが、周りのエンジン音やら、アラバマかバイコヌールか北海道か、街の雑多な音が邪魔をして結局聞くことはできなかった。

切れ端に書く_No.011_01

 ヒッチハイカーはしばらくその場に佇んでいたが、やがて歩き出す。

 次の目的地まで乗せてくれる車を探すために。

 

 

 はっきりしていることはひとつある。

 あんたは例え彼から聞いた話が面白かろうが退屈だろうが、それによって一瞬孤独ではなくなったのかもしれないし、ひょっとしたら彼を乗せたあんたのほうが救われたのかもしれない。

 もしくはとんでもなく損した気分になって、今頃は渋滞の真ん中でハンドルを握っているかもしれない。

 いずれにせよ、はっきりしていることはひとつだけだ。

 あんたは走り続けなきゃならない。

 

 

 

              *

 

 

 スピードの文章にはすくうべきヨーグルトも、ニッケルもみずむらさきも出てこなかった。

 僕は彼、もしくは彼女が僕とは違う存在だということをようやく知った。

 僕にはスピードの人生もモノカキとしての苦悩も今ここに書くことができない、そしてその事実を書くことだけはできるということも。

 今、知った。

 ぱたん。

 

 

              *

 

 

 誰かが仕事や国、言語や学校のことを「巨人」と呼んだ。

 それを社会と言い換えてもいいかもしれないし、数字と言い換えることだってできるかもしれない。

 とにかく僕たちはそういったたくさんの巨人に監視されながら生活している。

 君がその呼び名を気に食わないのなら街、と言い換えてもいい。

 何千、何万番地もある大きな街の住民としてそこに生まれてきている。

 「巨人」から逃れることができるだろうか。

 大きな街から出ることができるだろうか。

 街の外の景色は街の外にいる者にしかわからない。

 死を経験しなければ死を理解することはできないのと同じように。

 文章もまた、「システム」の住民となってこの街に寝床を敷いている。

 僕ら物書きはそこから抜け出すことはできない。

 僕はときどき思う。

 もしも圧倒的、絶対的な文章があるとしたら、それを読んだだけでイチコロにされてしまうような、そんな圧倒的な文章が存在するとしたら、それは街の外で書かれたものだろう。

 言葉というものは論理であり、客観性というものがいつもそばにあるはずだ。

 ちり紙がポケットの中にあるように客観性は常備されている。

 ところが文章の中にいる僕が書き続ける限り、ちり紙のような客観性は脆くも崩れ溶けてしまう。

 こうして物語は何かしらの欠陥を伴って進行してゆく。

 書き手というものが存在する以上(本当にやっかいだ!)、文章は常に欠陥を抱えたまま僕たちの目に触れることになる。

 もしも。

 言葉を使わずに文章を書くことができたなら。

 文章を書かないで物語を書くことができたなら。

 けれどそんなことはできない。

 役に立たない知識がこの世に存在しないのと同じように。

 役に立たない知識など存在しない、といつだったか僕は、ある後輩に教えてもらった。

 それは知識が役に立たないのではなく、役に立つやり方を知らないだけなんですよ、とその後輩は言った。

 「ポンピングブラスト現象って知ってますか?」

 「なんだそれ」

 「列車がトンネルの中に入った瞬間、空気抵抗とか諸々の関係で、そこらへんは僕も知らないんで飛ばしますよ、とにかくそんな関係で出口付近で空気のかたまりが押し出されるらしいんですよ。そういった現象のことをポンピングブラスト現象というんです」

 「ふーん」

 ――どうですか、知ってても何もならないでしょう?

 やけに得意げに「でしょう」と手を拡げてくる後輩に「まあ俺らが知ってても確かに何の得にもならないなぁ」と漏らす。

 「でしょう?」

 「うーん」

切れ端に書く_No.011_02

 その後輩は僕が煙草を吸わないことを知っているくせに誕生日プレゼントと称して三脚付きの灰皿を届けに来てくれた。

 後輩自身も吸わないため、横にあるその灰皿はもらった瞬間にオブジェと化した。

 「これは灰皿ではありません、ひとつのアートです」

 断言してくる後輩に向かって、僕はそのオブジェで殴りつけてやろうかとも思ったけれどやめた。

 「でもそれは僕たちが役に立つやり方を知らないだけなんです」

 「うーん」

 「とにかく、知識というものはそれが知識である限り何かと結びついてしまうものなんですよ。運命みたいなもんで、そこからは逃れられないんです」

 どこかで聞いたような話だ。

 「知識、とだけしか言わないから駄目なんじゃないか?」

 ――どういうことです?

 「たとえば知識というのは名前にすぎなくて、そいつは何の役にも立たない。どこかの街でひっそりと暮らしているのかもしれない」

 誰にも見つからないように、こっそりと。

 「何の役にも立たないから誰も運んでくれない、そうなると自分の足で動かなくちゃらない」

 「なるほど」と後輩。

 「今も歩いているかもしれないぞ」

 どこかを。

 「どこか、というよりも」

 後輩は咳払いをひとつ、入れた。

 「それが街の外なんじゃないですか?」

 「なるほど」と僕。

 

 

 この文章が街の中のものだとして、いったいこれらの物語はどこの番地のことを書いたものなのかを考えてみることにした。

 ハコと六年ぶりに再会した場所が二〇八一番地。

 母の思い出は六九八番地に、歯を崇拝する男は九〇〇〇番地以降か。

 スピードは五三四八番地辺りを走り回っているだろう。

 父が呼び鈴を押しなさいと言ったのが七七四一番地かもしれない。

 みずむらさきとカタモトさんがいた、あの建物は一〇二番地あたりだ。

 そこまでいって僕は袋小路にぶつかった。

 あのしわだらけの部屋はどこにあったっけ?

 どこでアイロンをかけていたんだっけ?

 

 

              *

 

 

 「ねえ、どこだっけ」

 君はもうそこにはいなかった。

 代わりに冷蔵庫があった。

 新品で、身体の真っ白なやつが部屋の隅でじっと息を潜めていた。

 

 

参考文献

『時計と人間 そのウォンツと技術』著・織田一郎(一九九九年・裳華房)

『ぼくたちの好きな戦争』著・小林信彦(一九九三年・新潮社)

『倚りかからず』著・茨木のり子(二◯◯七年・筑摩書房)

『無心ということ』著・鈴木大拙(二◯◯七年・角川学芸出版)

『禅と日本文化』著・鈴木大拙(一九四◯年・岩波書店)

『フィンガーボウルの話のつづき』著・吉田篤弘(二◯◯一年・新潮社)

(第11回 最終回 了)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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